12月9日

およそ40冊達成。

 

仕事終わりに映画を観に行く予定だったが、黒沢清の新作『岸辺の旅』はすでに終了。『007 スペクター』は前作『007 スカイフォール』の続編的色合いが濃いため、前作を観ていないので楽しめないということで見送る。となると、観たい作品がないという問題になり、はたと気づいたのが、佐賀のシアターシエマでやっている『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』だ。20時開始ということもあり、17時半に出れば間に合うだろうという算段であったが、ナビに打ち込んだ時点でほぼ20時ちょうど。夕方の道路状況も鑑みて一か八かで行ってみてダメそうだったら、諦めて手前の井手ちゃんぽんか想夫恋で食事して帰るぐらいの意義を見出して出発。

案の定、帰宅ラッシュで道路は混みあい、途中からは一車線になり、徐々に縮まってはいものの、まだまだ安心できる予定時刻には達しない。おまけに想夫恋も井手ちゃんぽんもお休み。佐賀まで行ってなにもせず帰宅となったら、なんともいえない空気になってしまう。冷や冷やしながら、バイパスを通り過ぎ、さあ二車線でどれだけ縮めることが出来るかという段で、ナビは思わぬ方向へと案内する。ビートルのナビでは案内しない道のりだが、さてどうするか?と一瞬、悩んだが、前の車が数台行っているのと、ナビの時刻がいくらかは縮まっていたこともあり、ナビに賭けてみることにした。

道路はやたらと広く、まだまだ工事中であることを伺えるが、突き進んで行くと大きな橋へと繋がり、いずれは完成して有料バイパスになるような道になっていた。信号もなく、スムーズにながれ、気がついたら20分前には到着していた。いつも停める長時間安い駐車場はいっぱいだったので、手前の駐車場に停めたが、日中は安いという不思議な料金設定。今度入れるときは注意したいところ。

無事にシエマに入り、空腹なこともあって、売店でビスコッティとコーヒーを注文して、スクリーンに滑りこむ。

 

 

『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』

敬愛する都築響一さんがトークイベントで話していたヴィヴィアン・マイヤーという身寄りも無く、恵まれた仕事ではない乳母で生計を立て、天涯孤独なまま世を去った女性が、生前に発表することも現像することもなく、ただひたすらに撮りためていたフィルムの一部を、この映画の監督のひとりであるジョン・マルーフが落札した手にしたことがきっかけで世にでることになった。二眼レフカメラという特殊なカメラで切り取られたストリート・スナップとでも呼べるその写真の数々は、たとえ芸術写真の門外漢であっても、惹きつけられるつよい力を持っている。

撮りためてフィルムだけでなく、テープレコーダー、映像フィルム、雑貨類、新聞の切り抜きや手紙、果てはレシートに至るまで物を捨てることが出来なかったことを伺わせる遺品の数々から、まるでミステリー小説のように本人を辿ることになる。乳母として育てられたかつての子供たちや、雇い主、友人として少しの間交流があった者、偏屈な客として覚えていた雑貨店の店主などから、浮かび上がってくる人物像は、住み込んでいる部屋に新聞をうず高く積む変人であり、テープレコーダーで新聞記者のように政治や時事問題について市井の人々に聞いてまわったり、近くで起きた殺人事件の被害者の葬式の様子を外から撮影したり、ジャーナリズムのようなことにも興味があったのかもしれない。また、大切にしていたおもちゃをアンモニアづけにしたり、子供たちにとっては、ある種のトラウマを抱かせた存在であったというエピソードも。

この作品を観ても、その写真のセンスはどうして磨かれていったのかは分からないが、人的交流をしない彼女が、一歩遠い視点から眺める洞察力が、カメラという媒体で花開いたのかもしれない。

本人は少なからず発表する意思があったことや、そのセンスに自信をもっていたことを伺える文面も残っている。本人の意図する形での発表でないこと、その本人が監督をつとめた作品であるので、また違った視点もあるのかもしれないが、その写真の数々、ミステリアスな人物、そしてヘンリー・ダーガーのように、ひょっとしたら発表されることもなく消えてなくなっていった才能というものを思い、とても興味深く鑑賞できた。コーヒーをぶちまけながら。カノジョ氏にはクリーニング代を出さなくては…。

 

ちょうど、Yさんのシエマの桃源郷2015参戦表明がはいったので、予約人数を増やすことに。今年は苦戦しているらしく、大変よろこばれた。なんでもカルト作品は控えめで誰にでもおすすめできるようなオシャレな作品?をかけるとのことで、カルト映画大好き人間としては少し残念だが、カルト映画くくりの上映会もしてもらいたいところ。